満月の夜 2人の時間。闇の精霊視点のお話。
◇ 不健全に愛でる夜 ◇
『シュオン』は目の前で楽しそうに話す1人の娘を見つめていた。
彼女は彼の主。
契約により紡がれた法則によって生まれた絆が、彼らを繋いでいる。
今夜は満月。
世界に魔力が溢れる。
それは例えようもない程の甘い香気を伴い、
力の弱い精霊ならば軽い恐慌状態に陥るほど濃密なものだ。
そして夜の闇は、彼の領域。
つまり満月の夜は、彼にとって最高の舞台。
自身の中で昂ぶる魔力を心地よく感じながら、
ともすればにじみ出てしまうその力をなだめるように制する。
闇に属する魔力が司るものは、『眠り』や『退廃』、そして『死』といったものだ。
転じて再生となる力だが、それも必要最小限であればの話。
度が過ぎればあっという間に世界の均衡は崩れてしまうだろう。
それ程の力。
その力を恐れる者は多く、ゆえに求める者もまた多い。
しかしそんなことは彼にとってはどうでもよく、
ただ、自分に染み付いてしまったかのような退屈感を晴らせるのなら、それだけで良かった。
世界に思いを馳せると『快楽主義』という言葉が浮かんだが、
楽しむためならば、苦を受け入れることも厭わないであろう己の姿勢と照らし合わせると、
それはまったく違うように思えた。
もう1度思いを馳せる。
『不健全』という言葉が浮かぶ。
――なるほど。
彼の今1番の関心ごとは、目の前の娘だ。
若い娘と楽しむことだけを第一に考えているとしたら、それは立派に不健全と言える。
かといってそんなことも彼にはどうでもよく、この時間を楽しむことに集中した。
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「でね、シューちゃんが――」
何を話していても大概『この者』へたどり着く。
この娘を構成する物質の全ては『この者』への想いとやらで出来ているのかも知れない。
そう思わせる程だ。
「お前は本当にこの者一色だな。頭の中を見せてみろ。砂糖でも詰まっていないか調べてやる」
「は、入ってるわけないでしょ! いくらなんでも……」
「そうか? だが甘い香りがする」
首筋に顔を寄せると、細い肩がわずかに硬くなる気配。
その反応に、自分の中の何かが反応する。
「さっきまでアンリ君のところでお菓子作ってたからだよ。失敗しちゃったから持ってこなかったけど……」
ゆっくりと私から距離を取る娘。
「また黒こげにでもしたのか?」
その距離を詰め、壁についた両腕で閉じ込める。
「ま、またっていうか……、ああ、あの……、な、何これ、なんでこんな」
「落ち着け。舌を噛むぞ」
「え!?」
「……焦って喋ると、舌を噛むと言ったんだ。私が噛み付くとでも思ったか?」
「だ、違――」
頬を染め、困惑顔で、しどろもどろ。
なんて無防備な娘だ。
これでは『この者』も日頃からやきもきするわけだ。
そしてそれは私にも伝染する。
「お前は少し男に慣れろ」
「あ、あのね! こういうことされたら誰だって驚くよ」
「むしろこうなる前に逃げる術を身に付けろ」
「ど、どうやって……」
じりじりと身をよじり、逃げようとする。
「逃げるな。攻撃しろ。そういう態度は本能に火をつける」
「は!?」
「逃げられると追いたくなるのが生き物の本能だ。こういう場合は相手に反撃の意思が芽生えない程度にぶちのめせ」
「どういう程度! ていうか、なんで急にこんな護身術講座!?」
「お前には必要だろう」
「…………」
「…………」
「……そ……そうかもだけど……」
ほのかに紅く染まった頬に困惑気味な表情を浮かべ、上目遣いと消え入りそうな声。
「……上目遣いはするな」
「え?」
「するな」
「だって顔が上にあるから――」
「いいからするな」
「はい……」
主らしからぬ主。
腕をどけ、そのまま反転し、壁によりかかる。
2人並んで、壁に張り付いているのはどこか滑稽だ。
からかうつもりが、いつの間にか方向が逸れ、本気になっていた。
――何をしているんだ? 私は。
「……えっと……その、心配してくれたんだよね? ありがと……」
じっと見つめると、照れくさそうに目を逸らす。
表情、声音、呼吸。
いちいち気になるのも、やはり『この者』の影響か。
『この者』と溶け合い、感情すら影響しあっている。
それが今の私だし、それに対しどうとも思わない。
――と思っていたが、正直苛立つ。
「……お前達は早く契りを交わせ」
「――な、何言ってんのーーー!!? そういうこと言うの禁止!! 絶対禁止!!」
「……落ち着け。舌を噛むぞ」
「噛まないよ! 噛んでる暇があったら文句言うよ!!」
「そっちの噛むじゃない」
「大体あなたって――」
興奮している娘には届かなかった呟き。
本当に噛み付いてやろうか。
契りとは儀式。
繋がることで絆が深まり、守護の星が決まる。
それはこの世界の理。
新たな命を待ちわびる大地の祝福。
大地の意思は精霊の意思。
絆が深まればこの迷いも晴れるだろう。
「……まあそれ以前に、契ればその暑苦しいまでの初々しさも少しは落ち着くだろう。まわりの人間もひと安心だな」
「ちょ――」
羞恥心にわななく唇を指でそっと掠る様に、少しだけ伸びた髪を引き寄せ、弄び口付ける。
『この者』の心が私に影響しているというのなら、私の心も同じく影響を与えるのだろう。
――それはそれでおもしろい。
『シュオン』の唇に満足そうな笑みが浮かぶ。
そう。夜はまだ、始まったばかり。