舞踏会の夜、ロッソ視点でのお話。教師陣サイド。


◇ 掌の上の花 ◇

ロッソは学園内の自分の執務室でお気に入りの肘掛け椅子に腰掛けながら、
ぼんやりと窓の外を眺めていた。

今夜は魔術師の舞踏会が開かれている。
ロッソが密かに想い続けている女性も、そちらへ赴いているはずだ。

本当なら彼もそこへ行くはずだった。
だが状況は変わり、こうして時間を持て余している。

もしあの湖の底の館に行くことが出来ていたなら、今頃は美しく着飾ったあの人を見つけられていただろう。
そうと思うと、この時間を有意義に使うことは勿論、1人きりの家に帰る気には到底なれなかった。

目を閉じる。

化粧気のない、一見地味な印象を与える女性の姿が思い浮かぶ。
だが誰が見ても、彼女がただならぬ気品を備えていると知るのに、時間はかからない。

意志の強さを描いたかのような眉。理知的な光を宿した切れ長の瞳と、細く高い鼻梁。
冷たく厳しそうな印象を和らげるのは、頬から顎にかけての柔らかな曲線と、口角の上がった形の良い唇。

髪型も服装も一糸乱れず、寸分の隙もなく。
その立ち居振る舞いには無駄がなく、そして優雅だ。

治癒魔術の研究機関で教鞭を振るう彼女は、ロッソと同じ指導者だ。
家は隣同士。学会で何度か見かけたこともあり、そういう意味でも2人は面識があった。

単純にそれだけだった。
あの時までは。

                ** ** ** **

――雨の日だった。
街で学園の生徒を注意していたところを、あの人に見られていた。
私はそのことに少しも気がついていなかった。

泣いて走り去った生徒が踏んで跳ねた泥が私の服を汚し、それを忌々しく思っていると、
いつの間にかすぐ側に居たあの人が、柔らかな動作で魔術を紡ぎ、その黒い染みを跡形も無く消し去った。

その時自分が何を言ったかは覚えていないが、あの人の言葉は今でもはっきりと胸に残っている。

『あなたもあまり器用ではない人のようね』

うっすらと微笑んでいたようにも思うが、それははっきりとしたものではなく、
いつもと変わらない表情だったかも知れない。

あの日から、あの人とまともに目を合わせることができなくなった。
理屈など知らないが、自分はあの瞬間、確かに恋に落ちたのだ。

                ** ** ** **

「…………」

ため息をひとつつくと同時に、ふと、学長のお気に入りで、若く実力もある教官の顔が浮かぶ。
一見優しいだけの無害そうな男だが、時折あの瞳の奥に、こちらがギクリとする程の情熱を垣間見せる。

それは自信に満ち溢れた若者特有の力強さなのか。

今のロッソには無い、輝かしさ。ゆるがぬ思想。

ずっと昔には、確かに己の中に存在していたはずのもの。
どこで、どの時点で失ったのか。

手を握り、開く。
じっと目を凝らしても、そこには何も無い。

「……ふん。……くだらん」

それは突然にやって来た。
学園の敷地内に張り巡らしてある結界に、何かが触れる気配。

ロッソは再び窓の外に視線を戻す。

学園には時折、『来客』がある。
それをもてなすのも教官の仕事だ。

ロッソは忌々しく思いながら、重い腰を上げた。

                ** ** ** **

辺り一面に、薔薇が咲き乱れていた。
学園正門入り口である。
普段は可憐な花が数種類、品良くささやかに咲いているのだが、今は全て薔薇に覆われている。

闇の中でもその存在を誇示するように自ら輝く薔薇達は、魔術によって芽吹き、狂い咲いている。
その中心に、男が1人倒れていた。

「あら。来たのねロッソ」

白衣の女魔術師が振り返る。

「やれやれ。わざわざ出向く必要はなかったようだ」
「楽しみを奪っちゃったかしら?」
「何をくだらない。それでこの男は結局なんだったのかね」
「いつもと似たようなものよ。名誉教授のお客さん」
「……ふん。あの人にも困ったものだ。学園をなんだと思ってるんだか」

学園の名誉教授、ヒューバートという男。
あの男はいつでも各地を飛び回っていて、居場所がはっきりしない。
その為、あの男への様々な用件、書類等は学園に届く。
自宅へ直接ではなく学園を通すのは主に防犯目的であるようだが、
稀にこうして恨みを持った人間も届くのだから、確かに防犯効果は高い。
だが学園としてはいい迷惑だ。

突如、右方向から響き渡る爆音。

そして地響き。
魔力波による空気の振動が体内をも突き抜けていく。

「……まったく」
「かく乱戦法のつもりかしら。まとめて来てくれれば少しは楽しめるのに」
「ふん。やはりわざわざ出向く程ではなかったな」
「学長に仕事させて自分は高みの見物だなんて、どうかと思うわよ」

右方向から近づいてくる軽快な足音。

「ふーやれやれ。……あれ、ロッソ君。元気出たの?」
「は?」
「あら学長、肩に薔薇の花びらが」
「ふむ。君の頭の上にも1枚乗ってるよ。カミラ君」

突然の殺気。

今度は左から男の怒声と魔力の奔流。

「彼のものを打ち破れ! 我が魂の叫び! うおおお覚悟ーーー!!」

――全くもって馬鹿らしい。やはり来なければ良かった。

ロッソが指を鳴らす。
途端、彼が身に纏っていた結界が拡大し、男の放った魔術を男ごと吹き飛ばした。

爆音と、弦を1本弾いたような音が響き渡る。

しばしの間の後、門柱に激突した男が最後に発した言葉。

「……我らの……愛は……永、遠に……――」

                ** ** ** **

名誉教授の奥方を崇拝する会の幹部、3名を拘束し、中央魔導機関へ通報する。
名誉教授があまりにも奥方を溺愛し隠したがる為に彼女の神秘性が増し、このような事態を招くことになったのだ。

――馬鹿馬鹿しいにも程がある。この薔薇を処分する手間を考えるとますます馬鹿馬鹿しい。

「全部捨てちゃうのもなんだか可哀想ね。こんなに綺麗なのに」
「カミラ君がお風呂にでも浮かべて使えばいいんじゃないかな」
「100年あっても使いきれませんわ」

「…………?」

握り締めていた手の平を開く。
そこには1枚の薔薇の花びらが乗っていた。

いつの間にか、自分の手の中に舞い込んだ花びら。

見つめていると、不思議な感慨が心に広がっていく。

「『掌の上の花』か。うんうん、いいね」

学長の声に、自分の気持ちが遠くへ行っていた事に気がつく。

「何ですかな?」
「遠い国の、大昔の偉い人の詩だよ。『何を成し遂げようと、また何を失おうと、掌に乗せられるものは等しく、大切なものは常に己の手の中にある』という意味のね」

「…………」

ロッソはもう1度、自分の手の平に乗る花びらを見つめた。

風が、ふわりと花びらを連れて行く。
舞い上がる多くの花びらの中に溶け込むように、あっという間にどこかへ行ってしまった。

手の平の上にはもう、何もない。

しかしロッソは、先程までの胸のつかえが、ゆっくりと薄れていくのを感じていた。


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