古の都で別れた後のラスサイドのお話。
後半はラス視点。
◇ 2人の世界を繋ぐもの ◇
『でもって私のこととか学園のこととか、綺麗さっぱり忘れてるんだよね』
――そんなわけあるか。
「…………」
** ** ** **
それはとある日の昼下がり。盗賊達のアジトにて。
物思いに耽るリーダーを柱の影から覗き見しつつ、盗賊達はひそひそと耳打ちし合っていた。
「……なあ、なんか最近のお頭、暗くねえか?」
「あー、アレだアレ。……言葉が浮かんでこねぇな。えーと……」
「恋煩い♪」
「あ、それそれ。お前そういうの詳しいよな。猫人間」
「……な、それやめてよね! 流行らせないでくれる?」
「え、っていうか、お頭が恋煩い!?」
ガン! バキ! グシャッ!
「痛ーーい!!」
「うが!!」
「おぐ!!」
「いやいや、最後の音、死んでるでしょそれ!」
「出てけ」
無表情。そして静かな声。
物騒な得物を肩に担ぎながら自分たちを見下ろすリーダーの影に、
空気が張り詰める。
「へい!」
引き際を心得ている盗賊達は、声を揃えて我先にと部屋から飛び出して行く。
ケットはそれを楽しげに眺めながら、先程殴られた頭をさすりつつ提案した。
「会いに行ったらいいのに」
「…………」
「……あ。今寝るところみたいだよ。『ラスのせいでいつも寝不――』」
ゴチッ!
「いったーーい! も~~叩きすぎ! 頭悪くなったらどうすんの?」
「お前ちゃんと食ってるのか? 随分スカスカっぽい音がしたぞ」
「どういう意味!? 頭の中に食べ物が入ってるわけないじゃん!」
「知ってる」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……ねえ、マスター。後悔しないやり方するのがマスターでしょ?」
「…………」
「こんなのマスターらしくないよ。……聞いてるの? ……ラシードってば!」
『……来い シヴィラ』
「……え? ……うそ、ちょっと待って! 僕あの人苦手――」
ラスの求めに応じて、魔力の奔流が起こる。
空間の一部がぐにゃりと歪み、人の形を取ったと感じさせるその瞬間、ぶわりと舞い広がるつむじ風。
気がつけばそこに、褐色の肌に砂色の髪の、悠々たる雰囲気を纏った美女が佇んでいた。
見た目こそ若いが、軽く千年は存在しているという砂漠の守護者。
精霊シヴィラは、艶然と2人を眺めている。
『……呼んだか? ラシード』
「ああ。ケットの奴がどうしてもお前に会いたいって言うからさ」
「言ってないし!」
『ふん。どれ、遊んでやろうか。子猫はこういう遊びが好きだろう』
どこから持ってきたのか、シヴィラは猫じゃらしをケットの鼻先でほれほれと揺らす。
ケットは平然を装って抵抗しているが、どうやら効き目は絶大なようだ。
――これで当分は静かだろう。
ラスは部屋を後にした。
** ** ** **
オアシスの木陰でごろりと横になり、目を閉じる。
途端、いつかの出来事が記憶の底から鮮やかに浮上する。
気配を感じ、意識が覚醒するよりも早く捕まえていた、細い手首。
あの感触は、今もこの手に感じることができる。
手だけじゃない。口づけた瞼の柔らかさも、はっきりと思い出せる。
けれどそれらの感覚は形の無い曖昧なものだ。
きっと思い出す度、そこにあらゆる感情が上乗せされ、情報は書き換えられていく。
そして、いつかは別のものに成り変わる。
今この瞬間も、曖昧さを増していく気がする。
触れたい。
触れて確かめたいと思う。
自分が覚えているこの感覚が、果たしてあの時のままなのか。
確かめて、もう1度自分に刻み付けたいと思う。
『後悔しないやり方するのがマスターでしょ?』
後悔。
何を選んでも、どこかに必ず後悔が付きまとうように思える。
生きる世界の違う2人が共に在ろうとするならば、あらゆる場面で気持ちのズレが生じるだろう。
それは想像に難くない。
後悔させてしまうかもしれない。
そしてその時、自分も後悔するかもしれない。
それが嫌なら、終りにすればいいだけだと、分かっていた。
そのつもりだった。
なのに、どうしても記憶を消せなかった。
指輪を残してきたのは未練だ。
あの日からずっと、心が決まらずに来た。
『綺麗さっぱり忘れてるんだよね』
忘れるつもりなんかなかった。
例え彼女の記憶を消しても、自分だけは覚えているつもりで。
そんな風に終わらせるつもりだったのに、この体たらくはなんだと思う。
「………………」
……そう。初めから、忘れるつもりなんかない。
そして、彼女の記憶を消すこともできなかった。
ふと、気がつく。
それが答えだったのに。
――何を迷う必要がある?
何を選んでも後悔すると思うなら、選ばずに後悔するより、選んで後悔することを選ぶ。
それが後悔しないやり方だし、今までそうやって生きてきた。
先のことなんて分からない。
だから後悔しないように生きてきたんじゃないのか。
だからそう、答えは決まってる。
答えがあるのに迷うなんて、贅沢にも程がある。
時間という限りある宝を浪費する程愚かなことはない。
――あいつだってそうだ。
あいつならきっと、選んで後悔する方を選ぶだろう。
「……ったく」
なぜ、こんなことになった? 今の自分は後悔まみれだ。
こんな経験は初めてだった。
けど、それももう終り。悩むのはここまでだ。
意図せずに笑みがこぼれる。
再会すれば見られるであろう彼女の驚いた顔が目に浮かぶ。
次に笑顔、それとも、また馬鹿と怒鳴られるのか。
心が決まった途端これだと苦笑すれば、遠くから相棒が助けを求める声が聞こえてくる。
空は茜色に染まりかけている。
見上げれば、あの日2人で見た夕暮れの空を思い出す。
じきに銀色の月が昇れば、滅びた都の空を思い出すのだろう。
彼女と自分を照らしていた、あの月を。
全てが、彼女に繋がる。
『会いたいよ』
「……俺もだ」
陽が落ち、徐々に冷えていく乾いた風を肌に感じながら、目を閉じる。
故郷につかの間の別れを告げるために。