魔術師の舞踏会で出会ったシュオンの知人である2人。
彼らの職場でのとある日常。ほのぼの。魔術要素は一切なし。
クラウス視点。


◇ 大伯父様の憂鬱 ◇

じっとりと重く、ねっとりとした空気が肌にまとわりつく。

頭の中でけたたましく鳴り響いているのは警鐘だ。
逃げろ。そう、逃げねばならない。
分かりきっているのに、縫い止められてしまったかのように足が動かない。

お前の為に全てを用意してやろうと『声』が言う。

違う。いらない。そんなものは必要ないと必死に訴えるが、声にならない。

華やかな音楽。
その美しすぎる旋律が、場の異常さを際立たせる。

『それ』は選択を迫る。
与え、そして全てを奪うために。

――いらない! だから奪わないでくれ!

きらびやかな布が幾重にも体中に巻きつき、もはや息をすることすらままならない。

いまやそれらは華美なドレスに形を変え、この身を飾りたてようとしている。

ひらりひらりと舞うリボン。
オーガンジーに透けるごつい手足。体毛――

――や……

「ッ! やめてくれ――ッ!!」

              ** ** ** **

クラウスは喘ぐように息を吐き出し、眠りから覚醒した。
空中に伸ばした右腕の、引きつるほどに開いた手指の隙間に天井が見える。

「…………」

痛いくらいにドクドクと鼓動を刻む心臓に、鈍い頭痛が連動する。
強く押し出される血流が冷たくなっていた指先を温めていくにつれ、クラウスはゆっくりと把握した。

そこは職場の一室。壁一面を埋め尽くす本は全て魔術書だ。
今度は安堵の息を吐き出す。
「……そう、か……。夢か。何て夢だまったく……はは……」
「いつまでも寝てるからだよ。仮眠ってレベルじゃないでしょーが」
「うお!?」

飛び起き背後を振り向くと、そこには職場の同僚であるヴィンセントが立っていた。
くすんだ茶色のくせ毛の隙間から覗く、優しげな瞳がかもし出すふわりとした雰囲気は好青年風だが、 今この瞬間のクラウスにとっては、人に成りすましている悪魔を想起させる。

その手が持っているものに視線が吸い寄せられる。
リボンにレース。ヒラヒラのフリフリだ。
再び血の気が引いていく。

「……うそだ……」
「何が? で、どっちがいいと思う? ドレス」
「これは夢じゃない!! お、俺は、もう、目が覚めているんだからな!」

後ずさり取り乱すクラウスにヴィンセントは首をかしげる。

「おっさん寝ぼけてる? 別に俺が選んでもいいけど、後で文句……って、なんで涙目?」
「お、お願いだ、奪わないでくれ……。40過ぎた独身男から尊厳を奪ったら、何が残るんだ……」
「40過ぎっていうか50近いでしょうが」

まだ45だと、普段のクラウスなら怒っただろうが、今の彼にはそんな余裕は無い。

「嫌だ! 俺は絶対に着ない! そんなヒラヒラのドレスなんぞ!!」
「……ああ。そういう夢見てたわけね。知ってる? 激しい嫌悪は憧れの裏返しでもあるんだってね」
「!?」
「とりあえずこのドレスはおっさんのじゃないから。コレットちゃんのね」
「……コレット……」

やわらかい銀髪と淡い水色の大きな瞳の、幼い少女が思い浮かぶ。
クラウスの姪の娘だ。名前をコレットという。空想好きな7歳の女の子である。

「……あ」
「思い出した? 今日は夜まで預かることになってるでしょうが」
「……うむ。すまん。寝ぼけてた」

コレットの母親はクラウスの妹の娘――つまりクラウスの姪である。
クラウスの妹はコレットが生まれる前に亡くなっていたし、夫にも先立たれた姪とその娘コレットの生活を、クラウスは何かと支えている。
滅多にはないが、やむを得ない事情がある場合は、こうして子守を引き受けることもあった。
クラウスが仮眠を取っている間、ヴィンセントがコレットの面倒をみていてくれたようだ。

「遊んでたら洋服汚しちゃってね。着替えるのヤダヤダ言ってたんだけど、俺らが選ぶならって渋々承知してくれたんだよ。可愛いよねぇ」
「そうか。まあ……服のことはよく分からん。お前に任せる」
「そう? よく分からないなりにも好みくらいあるでしょーに。どっちが好き? 明るい水色もいいけど、落ち着いたこげ茶も捨てがたいよね」
「…………お前、そうやって俺が選んだら、同じようなのを俺に持ってくるつもりだろう」
「まあ、おっさんが着たいっていうなら用意するけど」
「そんなことは言って――」

唐突にヴィンセントが部屋の入り口の方へと視線をずらしたので、クラウスもつられて入り口を見やる。
と、いつの間に入り込んだのか、幼い少女がこちらを見つめていた。
長い銀髪はくしゃくしゃにもつれ、ドレスだけでなく頬にも泥がついている。
コレットだ。

「大伯父様は女の子のお洋服が着たいの?」

鈴のなるような、という形容が相応しい声で、コレットは素直に疑問を口にする。

「ち――」
「そういうの女装趣味って言うんでしょ? コレットは否定しないけど、秘密にしておいた方がいいと思う」
「――――っ」
「あっはは。コレットちゃんは物知りだねぇ。でもって心が広い。今のままでも素敵だけど、大人になったらもっと素敵なレディになるだろうね」

クラウスが言葉を失っている間も、ヴィンセントはコレットの側にしゃがみ、頬の泥を拭い取りながら、話を続ける。

「レディになんかなりたくない。今のままがいい」
「今だってとっくにレディだよ。だから着替えないとね」

コレットがぷっくりと頬を膨らませると、ヴィンセントはおかしそうにコレットの頬をつつき、空気を抜いてしまう。

「紳士はレディにそんなことしないと思う」
「僕は紳士じゃないからいいんだよ」
「じゃあヴィンセントは、ならず者なの?」
「紳士とならず者の真ん中ね」
「ふーん」

「僕は紳士じゃない」と子供に言うのはどうかと思ったが、子供相手に自然な会話ができるヴィンセントに、クラウスは感心した。

子供は苦手だった。
何を考えているのか、彼にはさっぱり分からないからだ。
そのくせ、向こうはこちらの考えていることを的確に理解している節がある。
下手なウソやごまかしは見抜かれるし、かといって子供が喜ぶ会話も思いつかない。

子供だからと、子供扱いするのも難しい。
コレットは7歳だが、時々妙に大人びている。もちろん子供らしい部分もある。
だからこそ、子供として接するべきなのか、大人として接するべきなのか、いつも悩んでしまう。
このくらいの年の子供というのは皆こういうものなのだろうか?
クラウスにも子供だった頃があるというのに、こんなことを難しく考えている自分が不思議で滑稽だった。
とはいえ、クラウスはこの又姪が可愛くてしかたがないのだが。

着替えるためにコレットが研究所の女性に連れられて出て行くと、ヴィンセントが楽しそうに言った。

「父親みたいな顔しちゃって」
「どんな顔だ。普通の顔だぞ」
「女好きでいくらでも軽口叩くくせに、コレットちゃんと居る時は別人だよね」
「女好きとはなんだ。そういう言葉をコレットの前で使うんじゃないぞ! それから紳士じゃないからいいだのなんだの――」
「あはは」
「こら笑うな! 何がおかしい」
「いやあ。そういうおっさんもポイント高いよ。好感度+1」
「いらん。いますぐ-1しろ」
「今ので+2」
「なんだそれは!」

              ** ** ** **

ヴィンセントが研究に戻り、クラウスは着替えてきたコレットと2人、彼の研究室にいた。

「――大伯父様はなんで結婚しないの?」
「ゴフッ」

すすっていた茶が鼻に逆流して痛い。

「な……何かね、急に」
「コレット、親戚のお友達が欲しいの。ママもパパも1人っ子だから、従兄弟もいないんだもの。年齢的にも希望は大伯父様だけなの」
「……コ、コレット……」
「なに?」

年齢的希望というのが何を指しているのか? もちろん深い意味などないに違いない。
大人びた口調で言われたせいか、つい深読みしてしまった自分をクラウスは恥じた。

「……しかしね、私はもういい年だ。それに研究が楽しくてね。結婚は考えていないんだ」
「相手がいないの?」
「…………」

ズバズバと質問するのは、子供の純粋さゆえだ。含みはないのだ。
その純粋さゆえの残酷さにうっかり傷ついてしまった自分を、クラウスは恥じた。

「……まあ、そうとも言う」
「ふーん……。それじゃあコレットは、諦めないと駄目? 親戚のお友達」
「……どうしてそんなに親戚のお友達が欲しいんだ?」
「年に何度か、どちらかのお家で会えるでしょ? いつも会う度にちょっぴり緊張するけど、それは血の繋がりがあることに嬉しいような恥ずかしいような気持ちだからなの」
「……? ふむ」
「そうこうするうちに2人は成長していって、いつしか少女と少年になるのよ。そして淡い恋心が芽生えるの」
「…………ふむ……」
「だけどクラウス大伯父様夫婦と私のお母様は仲が悪くなって、私と彼は会えなくなってしまうの」

どうやら遠い血の繋がりを持つ者同士が恋する物語を夢見ているようだ。彼女がヒロイン役といったところか。
しかも自分は邪魔者役とは。クラウスは複雑な気分になってきた。

「初恋は実らないって言うでしょう? でも違うの。大人になった2人は、大都会で再会するの。勿論最初はお互いのことは分からなくて、でも――」
「――コ、コレット。その……」
「しー! ここから盛り上がるのに、声を立てるなんてお行儀悪いわ」
「す、すまん――」
「ちゃんと静かに最後まで聞いてね?」
「うむ……」

クラウスはそれから、延々とコレットの空想ロマンスを聞かされることになったのだった。

              ** ** ** **

日が落ちて、あたりはすっかり暗くなっている。
疲れてソファで眠るコレットの寝息を聞きながら、クラウスは書類を整理をしていた。

控えめなノックの後、ヴィンセントが入ってきた。

「眠っちゃったんだね」
「ああ。疲れたんだろう」
「でもさあ、毛布かけすぎじゃない?」
「何を言う。冷えたら風邪をひくだろうが」
「寝汗かいて冷えても風邪ひくと思うけどね」

クラウスは迅速な動きでコレットの上に重ねてあった毛布を1枚はがした。

「くくく」
「……だから何がおかしい」
「いえいえ。好感度+2」
「お前への好感度-10だ」
「うわ、好感度+3」
「分からんわ! 大体なんのゲームだそれは!」
「大きな声だすと起きちゃうよ」
「っ」

そっと後ろを振り返るが、コレットは起きる気配がない。
ぐっすりと眠っているようだ。

「……可愛いねぇ。将来は美人さんだね」
「……お前、早く誰か相手見つけて結婚しろ」
「……あのね。大人になったとしても、いくらなんでも20歳年下は離れすぎだと思ってるよ?」
「お前は信用ならん。紳士じゃないからな」
「ドレス用意してあげなかったから怒ってるの?」
「だからなんでそうなる!!」
「あ、起き――」

              ** ** ** **

10年後、美しく成長したコレットは、恋をする。
恋される幸運な男は誰なのか? 必死に思いとどまらせようとする哀れな男は誰なのか?
それはまた、別のお話。


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