魔術師の舞踏会で出会ったルイの部下である2人。
彼らのとある休日での出来事。
それぞれが胸に抱えている想い。


◇ 変わるものと 変わらぬものと ◇

「キャアッ! ど、泥棒……っ! 誰か、捕まえてー!」

そこは街の中心目抜き通りから1本横道に逸れた、猥雑な繁華街の、更に裏通り。
港が近いせいもあるが、この一帯は特に柄の悪そうな連中が多く出入りしている。
そのため、この界隈ではこういった叫び声もそれほど珍しくはない。

貨物船に忍び込み密入国した男は、女性からひったくったハンドバッグの中身を早く物色したい気持ちを抑えながら、入り組んだ路地裏へ逃げ込んだ。

「――へへっ。ちょろいぜ。追ってこれやしな――うおあっ!?」

唐突に己の足元に突き出された何者かの足。それも十字路の左右から1本づつ。
男は見事に両足を引っ掛けられ、なすすべもなく顔面から地面に叩きつけられた。

あまりの衝撃に、もしかしたら一瞬気を失っていたかもしれない。

「く……痛ッつう……」

激しく打ち付けた鼻や顎をかばい、ゆっくり身を起こしながら、男は自分に落ちる2つの人影に気がついた。
振り返るとそこには、浅黒い肌に銀髪の恐ろしく目つきの悪い男と、金髪に糸目のおっとり顔の男が立っていた。

「はー。何でこうなるんだかな。いっつもよ」
「全くです。示し合わせたように現れないでくださいよ」

明らかにこの2人のおかげで地面に這いつくばる羽目になったというのに、自分には目もくれずブツブツ文句を言い合っている2人に、男は怒りを覚えた。

「て……、てめぇら……! 何しやがる……!」
「大体なんだってこんな所うろついてるんだよ」
「買い物に決まってるじゃないですか」
「おい!」
「あー。この間のねーちゃんの店か? やめとけやめとけ。お前なんかカモられるだけだ」
「行くわけないでしょう。君と違って僕は誘い受けに乗ってあげる優しさは持ち合わせてないんです」
「おいコラこっち向けてめえら!!」
「んじゃ、ま、とりあえず」
「ですねぇ。とりあえず」

男が最後に見たのは、2人の優しすぎる笑顔だった。

            ** ** ** **

「ありがとうございます! ありがとうございます……!」

自分の元に戻ってきたハンドバッグを抱きしめ、涙を滲ませながらお礼を言う女性を後にし、 2人は盗人を近場の役人に引き渡した。

「――んじゃ、そういうことで」
「ええ。そういうことで」

用は済んだとばかり、2人はその場であっさり別れた。
職場が一緒で毎日顔をつき合わせているので、こんなものである。

――さっきの騒ぎで時間喰っちまったな。

銀髪の男は目的の店へ急いだ。

「申し訳ないですね。また来てくださいよ」

わざわざ港まで足を運んだというのに、目的の品はつい先ほど売れてしまっていた。
それではと他の店へ行ってみると、そこでも売切れていた。

それは3年に1度しか実らない果実で作るワインで、味が通好み過ぎるがゆえに、一般にはあまり好まれない。
しかし多くの人間や物品が集まる港では、大抵の店に1、2本は置いてあるのが常だ。
なのに、今日に限ってどこも売り切れとは。

前もって誰かに頼んでおけばよかったのだ。
いつでも手に入ると、軍務明けまで待っていた自分を悔やんだ。

「……仕方ねぇな」

どうしたもんかと思案しながら空を見上げると、冬の空は重たげな雲に覆われていた。

――もう、15年か……。

敬愛していたあの人が亡くなってから、過ぎた年月。
15年前の今日もこんな空だったと、思いを馳せる。
当時彼は8歳だったが、あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
喪失感も、後からやってきた痛みも、何もかも。
これだけの年月が経過しても、大切な人を失った痛みは消えはしない。
ただ、受け入れただけだ。

結局港付近の酒店を回っても、目当てのワインは手に入らなかった。
とりあえずもう1つの目的物を手に入れることにし、彼は歩き出した。

            ** ** ** **

金髪におっとり顔の青年は、国でも有数の大金持ちの屋敷の前にいた。
街から歩いて小1時間程離れた小高い丘の林の中に位置するこの館は、この辺りの大地主の邸宅だ。

豪奢な門の脇に備え付けられた精緻な彫り模様の美しい呼び鈴をそっと鳴らすと、 程なくして屋敷から使用人が現れ、青年を敷地内へ迎え入れてくれた。

ホールを抜け、ゆったりと壁に沿って螺旋を描く階段を昇った先の居室へと案内される。
親同士の付き合いの関係で、幼い頃からよく出入りしているこの館は、青年にとっては勝手を知り尽くした、ある意味第二の我が家ともいえるものだ。
前を歩く使用人も、もちろん顔なじみである。

「――待っていたわ。寒かったでしょう」

微笑みながら青年を迎えた女性は、この館の主の娘だ。
怜悧な美貌とたたえられる彼女は、切れ長の濃い青い瞳が印象的な、やや中性的な面立ちの美人だ。
肌の色は母親譲りで色白だが、髪は兄と同じ銀色。
彼女は近々、遠方へ嫁ぐことに決まっている。

「お願いしたものはどう?」
「全部で5本でした」
「ありがとう。お兄様には会った?」
「ええ。予想外な場所で」
「予想外?」

その時、廊下を走る音が聞こえてきた。
途端、激しい勢いで扉が叩き開けられたかと思うと、そこには不的な笑みと、こめかみに青筋を浮かべた、恐ろしく目つきの悪い男が立っていた。
この家の長男であり、また、青年の友人であり同僚でもある男。

「てめぇの仕業だったとはな……。先回りして買い占めやがって。お前の差し金か?」
「お帰りなさい。お兄様」
「お邪魔してますよ」

妹と友人に素晴らしい笑顔で迎えられた男は、耳元で何かがぶっつりと音を立てるのを聞いた。

            ** ** ** **

館裏の小道を進んだ先にある一族の墓地に、その人は眠っている。
青年の友人が幼い頃、母親のように慕っていた女性。
今日はその人の命日だった。

幼い頃に母親を亡くした兄妹は、厳しくも優しい教育係だった彼女を敬愛していた。
当時からこの屋敷に出入りしていた青年とってもそれは同じだった。

今は誰に言っても絶対に信じないだろうが、兄の方は幼い頃は泣き虫だった。
繊細すぎる性質で、他人が傷つくと、それ以上に自分が傷つく子供だったのだ。
それを問答無用で鍛え抜いたのが、今はここに眠る女性だった。

『泣いてる暇があったら笑いなさい』と、死ぬ間際に彼女が言った言葉。
ぐしゃぐしゃに顔を歪めながら、涙をこぼさぬように耐えていた兄と妹。
その言葉は、そこに居た青年にも等しくかけられたものだった。

青年は、墓標の傍らにしゃがみ込んで黙祷している友人を見つめた。
あの日から1度たりとも、彼の涙は見ていない。

「そういや、お前と一緒に墓参りなんて久しぶりだな」
「……そうですね。まあこうやって休暇と重なることもありませんでしたから」
「まーな……。大体あんまり家に帰って来れねぇしな」
「……ええ」

違う。それは理由ではない。
そう、当時は怖かったからだ。見ていられなかったのだ。
家族のように思っていた大事な人を亡くし、それでも強くあろうと耐えている友人は、見ていられないほど危うかった。
命日が来れば、気持ちはどうしてもあの日に戻る。
ギリギリのところで揺れている友人を、側で支える勇気が無かった。
その不安が伝わって、彼が立っている脆いガラスに亀裂が入って割れてしまったらどうしようと思った。
幼い心で、そんな風に考えていたのだ。

その想いはいつしか心の奥に染み込むように溶けて、消えてしまったかのように振る舞いながらも静かに心を縛リ続けた。
そして、大人になった今でも、命日にはなんとなく墓参りはしない習慣になってしまっていた。
後日1人で来ることはあっても、彼と共になど考えもしなかった。

不自然だった。
そのことに気づかせてくれたのは彼の妹だった。

『私はもうすぐ嫁いで行くから』

だからこれからは自分の代わりに、共に命日を祈ってあげて欲しいと。
幼いあの日を共に過ごし、あの人に叱られ笑いあった者同士だからこそ、共有できる想いがある。
それが支えになるからと。

『お兄様は、私かあなたが側にいないと、きっと約束を守れずに墓場で大泣きよ。内緒だけど、今でも結構涙脆いの』

ついでに、兄に対する日頃の鬱憤も晴らしたいので嫌がらせを手伝えと脅された。
彼女にいくつも弱みを握られている青年は、2つ返事で快諾した。

そんなわけで、命日には必ず用意する酒を先回りして買い占めたのは、友人の妹のささやかな嫌がらせだった。

「ったく、どうすんだよ。こんなに」

墓にワインの瓶を並べながら、友人が文句を言う。
呆れ口調だが、口元には微かに笑みが浮かんでいるのを、青年は見逃さなかった。

「酒盛りなんてどうですか? 今日という日に相応しく」
「おーし。言ったな。潰れんなよ? 明日は早朝から会議だからな」

ワインの瓶を1本だけ供え、少し名残を惜しみ、2人は屋敷へと戻って行った。

            ** ** ** **

屋敷に戻ると、家礼の爺やが2人を出迎えてくれた。

「お2人とも、お帰りなさいませ」
「爺か。今戻ったのか?」
「はい。本日の予定は済みましてございます。それでは坊ちゃま、そろそろ私は……」
「おう。ゆっくりやって来いよ。温かくしてな」

爺やは嬉しそうに、ワイングラス2つを手に、館の裏へと歩いていった。
墓に眠る妻の元へ。
妻の命日には必ず、2人の出会いのきっかけになった、変わった味のするワインで乾杯するのだ。
積もる話もあるのだろう。

「ふふっ。愛妻家ですね」
「ああ。そうだな」
「でも『坊ちゃま』ってどうにかならないんですか? 『若様』の方がしっくりくる顔なのに」
「うるせぇ。この糸目男め。本気出して目ぇ見開いてみろ」
「そんな表現に頼らずとも本気は伝わります。今夜は潰しますので覚悟してください」
「ほーー。そりゃ楽しみだ」

            ** ** ** **

「まったく……。だらしないわね」

深夜。
すっかり酔いつぶれた兄と青年を発見し、彼女は苦笑した。
あのワインは別名『鬼軍曹』と呼ばれる、恐ろしく酔いがまわる強い酒なのだ。
床には3本の空瓶が転がっている。
1本は青年が抱きしめているが、こちらも空のようだ。
彼女はとりあえず3本を拾い上げ、テーブルの上にそっと置いた。

彼女はこれから嫁ぐ先のことや、いろいろなことを考えて眠れずにいた。
そこで兄達はどうしたかと様子を見に来てみれば、酔いつぶれて思い思いの場所で眠っている。
朝が早い使用人達は、もう皆寝静まっている。
よって、兄達の世話をする者は誰も居ない。
彼女は自ら、2人が風邪をひかないようにブランケットをかけてやった。

その時ふと、兄の腰辺りに落ちている小さな箱を見つけた。
なんとなしに拾って開けてみると、そこには純銀の小さな指輪が入っていた。
裏には彼女の名前が彫ってある。

「…………」

彼女は兄の寝顔を、それから青年の寝顔を見た。

青年は彼女の初恋相手だ。
そしてその想いはまだ消えていない。
しかしその想いは今はもう、甘い苦しみを伴うものではなく、彼女を温かい気持ちにさせるものだ。
嫁ぐことが決まった時には、少し戸惑いを覚えはしたけれど。

嫁ぐ日には、娘は家族からそれぞれ何か1つ贈り物をもらう習慣がある。

兄に、何か欲しいものはあるかと聞かれた時のこと。
彼女は丁度その時、遠く窓の向こうからこちらへと向かって来る青年を見つめながら、『彼』と答えた。
それは思わずぽろりと口から出た言葉だった。

窓の外を見た兄は黙っていたが、息を飲む気配が伝わってきた。

『ふふ。お兄様の驚いた顔って面白いわね。それこそが素敵な贈り物よ。ありがとう』
『……お前は……』

あの時は冗談で済んだと思っていたが、そうではなかったのだろう。
彼女は小さな指輪をそっと指先でなぞり、そして兄の寝顔を見つめた。
……そう。彼女の兄は昔から、妹が誰を想っているか知っていたに違いないのだから。

いつだったか、青年が剣の柄飾りを無くしたとかで、上官からこってり絞られたと話してくれた事がある。
恐らくそれは、兄の仕業だったのだろう。
純銀製の柄飾りは、こうして指輪に化けたのだ。

剣は持ち主の魂に等しい。
「彼」は無理でも、「彼」の分身ならばと、兄なりに妹に応えてくれたのだ。
思い出のよすがとしては十分すぎる。

彼女は指輪を胸に抱きしめ、にっこりと微笑んだ。
青年を見つめ、兄を見つめ、今日1日を思った。
子供の頃のように悪巧みをし、ささやかなイタズラをし、故人を偲び、
何よりも、普段なかなか家に帰ってこない兄や青年と、こうして1日を過ごせたことが幸せだった。

彼女はこっそり指輪をもらっていくことにした。

「これでまた、お兄様の焦り顔が見られるかもしれないわね」

意地悪く微笑むと、彼女は自室へと戻って行った。

――次の日。
最悪の2日酔いで会議に臨んだ2人は、本物の鬼軍曹にこってりしぼられたのは言うまでもない。


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